こんにちは♪ Perles de sucre (ペルルドゥスークル)です。
連載コラム 第2回目も どうぞお付き合いください。
恩師K先生のレッスンアシスタントのお仕事をさせていただくようになるちょうど同じ頃、アトリエカルトナージュの資格コースが新しく出来ることになりました。
アトリエカルトナージュは、日仏を行き来されて数々の講座をお持ちだったビジャー香代子先生が主宰し、全国から生徒さんが集まる教室。
サティフィカコースは初級中級上級と合計40課題にのぼる長いコースです。
当時の私は、K先生のクラスの上級もほぼ終了する頃でしたし、改めてまた最初から始めるということに戸惑いもあり受講するか悩みました。
K先生の「将来お教室をやるなら、いろいろな技術を学んだ方がいい。」というお言葉に背中を押されて通う決心をしました。
しかし、今のように、自分が資格コースを教える認定の先生になるなんて想像すらしていませんでした。
サティフィカのレッスン開催地は、六本木など家から遠い場所ばかり。
まだまだ下の子は幼稚園でしたから、平日は幼稚園の延長保育をお願いしたり、時には友人に助けてもらったり、週末に出掛けたりと、今まで近所に通っていた気楽さとは全くかけ離れたものでした。
どんなにやりくりしても子供の行事も多く、休み休み、最初にご一緒した方々にはだいぶ遅れてやっとのことでサティフィカコースを終了しました。
家族の理解あってのことだったと今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
いつか教室を開けたらとは漠然と思っていましたが、実際に教室を開くとなると不安だらけでなかなか前に進めずにいました。
アシスタントのお仕事をさせていただき、裏方がとても大変なことも身をもって感じていました。
時を同じくして、母が大病を患い、とても大変な時期を過ごしました。
母はその後奇跡的な回復をして今は元気なのですが、その辛い経験から、自分がしたいことをしないと人生はあっという間に過ぎてしまうのだと強く感じるきっかけとなったのだと思います。
そんな思いや、周囲の友人のはげましもあり、教室に必要な道具類を人数分購入したり、体験レッスンのお知らせを印刷してみたりと、どんどん前に進まざるを得ない状況をつくり追いこんでいったのです。
ただ、こんな教室にしたい!というイメージだけははっきり持っていました。
もともと、お友だちを家に招いておもてなしするのが大好き。
カルトナージュを楽しんでいただいて、そのあとはゆっくり手作りのお菓子でおもてなししたい。
「手作りお菓子」それはもう絶対条件でした!
ただでさえ教室の準備で大忙しなのに、お菓子も全部手作りなんて大変すぎるからやめた方がいいと先輩方にアドバイスされたのですが、もうそれが出来ないならやる意味がないというくらいの気持ちでした。
そういう意思は固いかもしれませんね。
こうして、「お菓子とカルトナージュ」自分らしい形をもとめて小さな自宅教室がスタートしたのです。
(第3回コラムへと続きます・・・)